Monday, February 22, 2021

 ここに書き込むのはほぼ10年ぶりだ。十年ちょっと前に最初の大型グラントがもらえて研究室を立ち上げた。いろいろ苦労して、それなりにやってきて三年前ほどからスランプに陥った。人間関係、健康問題、そして昨年はコロナ、というわけで、いろいろと限界を感じさせられる中、必死に足掻いて、なんとかグラントの更新申請にこぎつけた。

その結果がさっき出たのだが、点数もつかない評価であった。いろいろ努力して、できるだけのことをやったが、研究というものは、がんばれば思うような結果がでるわけではない。半分以上は運だと思う。しかし、運であろうとなかろうと、結果によって判断されるというルールなのだから仕方がない。そしてタイムリーによい予備データが出ないとゲームオーバーだ。それは十二分に理解した上で、かなり前から準備をし予備実験を重ねた結果がこうなったということだ。

これを再提出するか、新しい申請として出すか、とりあえずはやってみるつもりだが、この一年の苦難のあとで気持ちが前向きに切り替わらない。この一年、コロナで仕事は進まず、その数ヶ月の施設閉鎖の間は精神に来た。休みもとれず、帰省もできず、それでも頑張ったが、結果がこうだった。正直、やってられないという気持ちだ。研究が楽しいと思えなくなってきた。同じ分野の論文を読んでも面白いと思えなくなったことに気づいた。こういう論文を書いている方はどうなのだろうと思う。少しでも面白いと思っているのだろうか。(とてもそうは思えないような研究ばかり)

楽しくなくなってきた研究に半分の時間を費やして、あとの半分以上は金の工面のことを考えている。なんとバカげたことかと思う。自分のやっていることが意義のあることと思えなくなったら、辞めどきだなと感じる。

やめ時なのだろう。医学生物学研究にこれからもブレークスルーはおこるだろうが、それは十万の仕事に一つぐらいのものだろう。自分がやった二、三の論文はその狭い分野で、それなりに評価はされたが、それは大洋の一滴にしか過ぎない。残りの人生を大海にもう一滴を加えるためだけに使うべきではないだろう。その一滴にこれまで犠牲にしてきたものも多いのだ。

負け惜しみに聞こえるかも知れないが、もはや研究に残りの人生をかけてまでやる意義を見いだせないような気がする。

若い時は人生は洋々たる未来が開けているような気がした。もう若くなく、未来はつねに死という航海の終わりに縁取られている。研究についやした時間が無駄であったとは思わない。それで家族メシを食ってきたし。楽しいことも多かった。何より世界中に知り合いができて、彼らが数少ない友人でもあった。多分、研究室を離れてさびしく思うとしたら、その繋がりがなくなってしまうことだろう。

昔から、晩年は田舎で一人暮らしして犬と畑の生活をしたいと思っていた。それは研究生活とは両立しないものである。その実現は困難かもしれないし、本当にそれで満足できるかは極めて疑問だ。しかし、もう金のことばかりを考えて研究するのも、金のために研究成果に一喜一憂するのも、うんざりだ。終わりを決めて、そして満足して、研究室を去ろうと思う。