Thursday, December 10, 2009

二の巻き(2)

東京への出張が終わって、実家にも数日立ち寄って、最後にもう一度東京の郊外の大学の工学部でセミナーをする。自分の研究を誰かが面白いと思ってくれるかどうか、セミナーの意味はそれに尽きる。自分の研究のことは自分がもっとも良く知っている。世界標準でどの当たりかもわかるから、いつも上を目指してやっているので、満足するということがない。それでも、自分が何かを見つけてわくわくしたり、面白いなあ、と思う部分もあって、そのあたりを、他の人にもちょっとでも分かってもらえて楽しんでもらえたらよいなあ、といつも考えながら話をしているつもりだ。しかし、こういうセミナーや発表は、研究活動のオマケみたいなもので、できるだけ少ないにこしたことはない。そういう交流はフィードバックが得られて役に立つ部分もあるが、研究時間との引き換えになっているという点において、多くの場合でペイしない。今回は休暇のついでであったので差し引きプラスと言ってもよいかも知れない。
 工学部で生物学をやるというのは厳しいものがある。学生は卒業したからといって、資格がとれるわけではなく、この世知辛い世の中、卒業の一年以上も前から就職の心配ばかりをしている。そんな学生や院生に頼って研究をしなければならず、彼らに論文を書かせて、無事に卒業なり、学位なりを世話しないといけないのだから、教官側は大変だ。研究において、品質と量を両立させるのは不可能である。やれば結果が必ず出るというものでもない。研究指導はするが、結果に責任はもてない、という当然のことが、若い人やその親に簡単に理解してもらえるとは思えない。卒業できなかったら、学費は何のために払ったのだ、と思うのが、資本主義社会で若い時から育った最近の若者やその親である。若い人々が周りにいるというのはうらやましいが、彼らや彼らの親の期待に沿ってやりたいと思うプレッシャーはかなりのものだろう。

Saturday, November 28, 2009

二の巻(1)

去年のクリスマスの日、これを書き出した。田舎の中都市の駅の裏にある、ひなびたホテル、というよりも旅館といった方がよいような、宿泊所のベッドの上だった。何もかも気に入らなかった。大学も、その街の様子も、レストランも、駅前の百貨店も大学方面へ支線を出している一時間にニ本の単線電車も。どんよりした気分でその街を後にした。
 今年もまもなく十二月になる。東京駅前のホテルで去年のことを少し思い出しながら、書き出した。去年のあの侘しさに比べれば、今年は全然ましだ。その田舎町へは行く予定はないし、まだ東京について2日目だということもある。今日の研究会の席では、久しぶりに会った昔の大勢の顔見知りや、仕事を通じて名前は知っているというような人といっぱい話をして、愉快に過ごした。ホテルの31階の部屋もまずまず快適だ。一方、日本の社会に余り明るいニュースはない。 経済危機を迎えた後、政権交代を迎え、そして前政権から引き継いだ赤字を何とかするため、厳しい予算編成を予定する現政権の経済政策に、研究界も戦々恐々としている。それでも、少なくとも東京駅の周辺は知る限り、昔と同じような人が、昔と同じような密度で歩いていて、駅前のモールや飲食店の賑わいも変化したようには見えない。田舎にいけば、不景気はもっと顕然化するのだろうか。
 研究会での人々との交流は、社会での居場所みたいなものを感じられて心地よい。自分は未だに社会の人々とのしがらみみたいなものが嫌いで、いつも根無し草のようにふらふらしているのが性に合っていると思うのだけど、人間である以上、一人では生きられないし、根無し草でも一瞬一瞬はその環境と有機的な関係をつくり出しているのである。だから、自分を仕事の上であれ、私生活の上であれ、認めてくれる人と一緒にいられるということは、間違いなく幸せなことだと思う。それがニッシュというものだろう。自分にとっては、そのニッシュがむしろより流動的である方がより快適に感じられるような気がする。いつまでそうなのかわからないけど。
 田舎の大学に赴任した教授に定年がきたら将来どうするかというような話をした。その人にとって、その田舎町に対して愛着があるわけではない。子供はもうすぐ独立する。定年になったら、自分の育った所か大学時代を過ごした東京かに移ろうかと思っていると言う。別に教授の後に学長をやったり、病院長になったり、そういうことに興味は無いし、自由に暮らしたい。医者にも研究にもそう未練はないと言う。大学教官にとっての住む世界とはそんなものだ。大学を離れて一般社会の中に濃い人間関係が生まれることはまず無い。大学と家族、研究関連の同業者、それが社会との繋がりの殆どである。
 自分にとっては、家族との繋がり以上に大切なものはないと思う。仕事の上で認められたり、その社会の中での人との交流することは、楽しいことだけれども、それは、流動的であって構わない。もし自分が同業の他の人々とつき合うに価するような仕事ができないのであれば、その社会は居心地の悪いものになっていくだろう。家族との関係は流動的であって欲しくないと、勝手だけれでも、思う。子供の時から、住んでいる土地の人々になじめなくて、中学から遠方の学校に通っていたので、自分と故郷に人間的な強い関係はない。少し自転車で遠出をしたらふんだんにあった山や小川や田んぼのあぜ道や森や林へ一人で出かけて、一人でうろうろして休みの日を過ごすことが多かった。親は仕事で急がしかったし、近所にはもう友だちはいなかった。ずっと、早く遠い所に行きたい、と小学生の頃から思っていた。一人になりたいとずっと思っていた。
 自分に子供ができて、子供に対する愛情を感じるようになると、自分自身が親にとってきた冷たい態度がなんとも申し訳ないように思う。子をもって初めて分かる親の恩、というやつだ。人間関係を含むニッシュが流動的であることが快適と思っていた自分にとって、今、子供たちの笑顔を心に思い描くと、いつかは、子供たちとの別れがやってくることを考えると、昔しょっちゅう悩まされた心の痛みを感じる。

Thursday, May 14, 2009

一の巻(15)

 大学教官が学生教育をその最も重要な任務だと思っているような大学は、結局、ろくな教育はできない。大学の教育というのは義務教育での教育とはそもそも質の違うものだからだ。まして大学院にでもなれば、大学院生あいてに教育という言葉を使うことさえ、不適切だと思う。大学院生のためにすべきことは、彼ら自らが研鑽を積むための環境を与えることである。私は大学学部の教育もそうあるべきだと思う。特にインターネットがこれだけ発達した世の中となった今では、知識を伝達することを主たる目的としていた従来の教育の価値は限りなく低い。知識そのものは殆ど無料で簡単に手に入るようになった。だから大学での教育は知識の伝達ではなく、その理解を手助けすることであると思う。そういう観点から見ると、もっとも効果的な教育とは、大学教官が第一線の研究者として活動する生の姿をみせることに優るものはないと思う。故に、教育を言い訳に研究活動をおろそかにするようでは本末転倒ではないかと思うのである。教育ビジネスとしてではなく、本来のアカデミアの場としての大学を保つためには研究第一でなければならないと思う。研究が優れていれば、自動的に優秀な学生が集まり、優秀な学生が研究を自主的に進めていく。その軌道が極端にはずれないように、見ておくのが指導者がすべきことである。よって、研究が進まないからと言って、二流大学がその存在意義を教育に求めるようになれば、すでに病膏肓、つける薬がないと言わねばならぬ。二流大学であるからこそ、研究の重要性をもっと考えねばならない。それが唯一、二流大学を脱する道だからである。二流大学で一流の研究をするのは容易ではない。そのことは十分わかる。使えるリソース、金、人、一流と二流を分けるもののうち、物質的な差、労働力の差が九割を占めるといえる。しかし、他に道はない。一流大学と同じ土俵に上がって、ガチンコ勝負で勝つ、それしかないのである。

(しばらく、忙しいので、悪口を書いている時間がありません。次回のUPの予定は未定です)

Monday, May 11, 2009

一の巻(15)

日本人が都会へ集中することは、結構これに近い屈折した心理があると思う。都会の狭いところで、都会に住む事の不自由さをぶつぶつ言う隣人たちの中で、自分もぶつぶつ不平を言いながら暮らすのが好きなのだ。大学もそれに近いものがあると思う。研究したいがために安い給料で大学に残るのだと思うのだが、中には、大学の下らない雑用に忙殺されるのを喜ぶ人もいる。それを研究が進まないことの言い訳にする。そして、ますます、雑用にはまり込み、ますます研究から遠ざかって、急に教育に熱意を燃やし出したりして、周囲のまともな人に迷惑をかけたりまでするのである。中島義道は、大学はそこに職を求める者が利用する場所であり、自分の好きな事をする権利を手に入れるためのものである、と言ったが、(こう公衆の面前で堂々と本音を吐くと、嫌われると思うのだが、どうみても彼は、人から嫌われることに必要以上の耐性ができてしまっているようである。この耐性は後天的なもののように見える)、もちろん、大学に限らず、職場というのは本来そうしたものなのである。

Thursday, May 7, 2009

一の巻(14)

その1メートル四方の箱には、宝くじを売るという目的に必要な機能が驚くべき精密さで詰め込まれている。欠けているのは、肝腎の宝くじを売る人が快適に宝くじ売りという仕事を遂行するための機能である。この宝くじ売りの狭い箱を見る人の少なからずが狭い鳥かごに詰め込まれて卵を生み続ける鶏を思い浮かべるであろうと想像する。限られた歩道の空間で宝くじを売るという機能のために、その人は狭い箱の中で我慢をしていると私には見える。箱をもう少し広くすれば済むことなのだ。あるいは箱ではなく、ちゃんとした宝くじ売り場のオフィスをつくればよい。歩道が狭いなら拡げれば良い。日本には土地がないから、狭いのは仕方がないという。それはウソだと私は思う。ちょっと田舎にいけば、車が無ければ食料も手に入らないような所はいっぱいある。土地を売って人よりも余計に金儲けをしたい人が、居住空間を切り刻んで、切り身にして高い単価で売りつけようとするから、都会の土地や家の値段が高くなりすぎるのである。しかも、不思議な事に日本人はその狭くて住みにくい場所へ自ら進んで住みたがる。こんな冗談を思い出した。

ストレスが溜まってノイローゼ気味の人がニューヨークへ引っ越した。
なぜなら 、
ニューヨークに住めば、ストレスとノイローゼの理由ができるから。

Monday, May 4, 2009

一の巻(13)

日本の都市や家や大学システムを設計する人は、人は何のために生きているのか、考えているのだろうか?こうした構造物が本来、何のためにあるのか分かっているのだろうか?家を建てる人は少ないコストで最大限の機能を持たせることを考えて設計する。車をつくる人は小さな空間を出来るだけ拡げようとする。だから、地震になると住人は押しつぶされ、火事では一酸化中毒で死に、軽四輪車の交通事故では容易に死亡するのである。家を建てる人は「家を建てる」という目の前の目標しか見ていない(日本の社会がそれ以上を見ることを阻むのである)その家に住む人が、どのように生活をし、どのように自らの生の目標を達成していくのか、そしてそのために建てた家がどのように役立つのか、そんな人間の道具としての家という視点が欠けている。日本のシステムというのは、人のためにシステムを変えていくという発想がなく、むしろ、人をシステムにあわせようとする。だから、一見、極めてムダがないように見えるのである。そのことを、晴海通りの宝くじ売りのボックスを見て感じたのであった。一メートル四方もないような箱が歩道におかれていて、全面の上半分は窓になっている。中には初老の女の人が座っているのである。冬の寒い日で、どうも膝掛けやカイロなどで暖を取るのであろうが、私には飛行機のエコノミークラスで太平洋を横断する以上の拷問であろうと思えた。立つ事も出来ない小さな箱の中で、その人の一日が過ぎていくのである。

Thursday, April 30, 2009

一の巻(12)

この地で、「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉を知らない人はいない。大学にとって優秀な研究者は財産であるという考えを日本の二流大学は受入れることができない。だから一流になれないのだ。よい花を咲かせようとすれば、肥料や水やりは欠かせない。よい土を入れて日当りのよい場所に植えて、水やりや肥料を欠かさず、世話してはじめて、よい花が咲くのである。日本の二流大学には、そもそも、よい花を咲かせようというような良心のアカデミズムというものがない。花が咲こうと咲くまいと知った事ではない、花壇はあるのだから、枯れたら、違うのに植え替えればよい、としか思っていないのである。だから、いつまでたってもよい花が咲かないのである。

Monday, April 27, 2009

一の巻(11)

日本に欠けているものは、余裕とか遊びとかである。ムダな空間や時間である。日本人の効率主義で、ムダな時間や空間は本当に無くすべき「ムダ」であると思っているのではないだろうか。だから、あれほど、建築物が醜いのである。限られた空間に、家が家として機能出来るぎりぎりの設計でものを建てるから、ああなるのだ。確かに家としての機能、つまり、夜露を防ぎ、生命活動を維持するだけの空間を与えることは出来ている。しかし、それだけである。だから貧しい。人はそんな家では生きることはできても、生活を楽しむことはできない。都市もそうである。都市を歩いて景色を楽しむように設計されていない。そこには、働く人々が昼間、仕事をするという機能を果たせるぎりぎりのスペースが確保されているに過ぎない。楽しく仕事をするとか、楽しく生活するとかという発想がないのである。教官選考もそうである。それを人との出会いであり、学問的啓発を得る機会と捕えようという発想がない。知らない同業の研究者と食事にいって情報交換をし、ネットワーキングしようという発想がない。教授を選考するのに最小限のリソースしかなく、候補者は、仕事をもとめる失業者で、大学は就職を世話してやる職業安定所だというような発想なのである。つまり、やとってやるという態度なのである。

Thursday, April 23, 2009

一の巻(10)

はっきり言って、なぜ、この大学が二流大学であるのか、よく理解できた発表会であった。しかし、自分の業績からは、二流大学にしかチャンスがないのは分かっているので、ちょっと気分の滅入る面接となった。もしオファーが貰えても、ここで二流の研究者として、糊口をしのぐためだけに就職するぐらいなら、お医者さんに戻って地域医療に貢献する方が上である。きっとその方が世の中のためになりそうな気がする、そう思った発表会であった。(一度だけなら多くの事柄は経験に値する、とポジティブに考えることにする)
 その日の夜は、一人で土地のおいしいものでも食べて、ゆっくりするはずであった。少しタクシーに乗れば、温泉町もある。しかし、気分は暗く、日本の田舎町と田舎大学に対する後味の悪さだけが残って、楽しくすごそうという気持ちになれなかった。夜になると気温がさがってきた。この田舎町でも幹線沿いには、インドやスリランカから出稼ぎに来た人たちがやっている料理店が散在する。駅前には白人系の外国人もちらほらする。日本のこの規模に田舎町で外国人をみるなど、昔はなかったことである。不景気で東京から押し出されたのだろうか、などと考える。田んぼや畑の前の幹線道路で、客寄せのために、旗を振っているインド人の姿を見るのは悲しい。ある小学校の給食に、うどんとひじきとクロワッサンが出たという話を読んだことがあるが、田んぼと畑とインド人、という組み合わせも、パッとしない。空腹となってきたので、せめて、名物ほうとうでも食べて、暖まるかと思って、駅前のほうとう屋にはいると、「ほうとうは30分以上かかる」と言われて、がっくりする。極太麺なのでゆでて煮込むのにそれだけかかるのだそうだ。それで、15分でできるという「おざら」というのを注文した。同じような極太麺だが、煮込まないので多少早い。ゆでたら、水で「さらさら」とすすいで冷やすので、「おざら」というそうである。妙なことに、この冷たい麺を具の入った暖かいツケ汁につけて食べる。これは、どう考えてもおかしい。ツケ汁は生温くなり、麺は外側だけがヘンに暖かい。味付けはともかく、この生温さでは、おいしさ半減である。どうして釜揚げにしないのか、あるいは逆に冷たいタレにしないのか、と心の中で文句を言いながら食べる。食べ終わって、寂しい駅前をとぼとぼと昭和の匂いのするひなびた安ホテルに帰った。そして、この悪口を書き始めたのであった。

Monday, April 20, 2009

一の巻(9)

しかし、発表の後の質問では、私は、実際の現場の中の多少敵意さえ感じられる意地の悪い視線や質問に辟易とした。この忙しいときに興味のない教授選にわざわざ時間をさいて来てやっているのだ、という態度があからさまな若い教官もいる。その点、医学部長は大人で人の扱い方を知っている。こちらにしてもも、家族とのクリスマス休暇をキャンセルして、楽しんでもらえるような話をしようと、遠路はるばるやってきたのである。面接とは言え、お互い、歩み寄って、楽しいひと時を過ごせるように努力するのが、人としてのたしなみではないか。聴衆の多くはそこの大学教授で、臨床教授は余り私の話には興味がないという感じで、義理を果たすためにそこに座っているのだいう様子。基礎講座の二三の若手教授は、話に興味を持ってくれて、いい質問をしてくれた。応募教室の別の教官は、将来、私が教授になったりしたら、追い出されるかも知れないと警戒してか、アメリカのグラントは持って来れないだろうとか、日本の科研の申請経験はあるのかとか、Noの答えを期待して、聞いてきたが、彼の期待に反して、私が全部にYesと言ったので、中途半端に質問を打ち切ってしまった。もう一人の聴衆の若手教授は、私が教育のことに発表で触れなかったので、「教授選の発表で教育に触れないのでは教授候補として評価のしようがない」とチャレンジして来た。この人の経歴はインターネットで見て知っていた。イギリスでしばらく独立してやっていて、そこそこの仕事を出した「有能な」若手である。国内の事情しか知らないならともかく、海外での経験があるのだから、教官の選考がどういうものか知っているはずだと思っていた私にとって、このチャレンジは意外であった。こういう礼儀知らずの若手は始末におえない。選考の相手は経験ある同業者なのである。学会での発表で、同業者に対してこんな質問の仕方をする奴はいない。こちらも「仕事をめぐんで下さい」と懇願しているのではないのである。教官職の選考というのは、大学側が選考すると思っているのかも知れないが、勿論、応募者側の大学の選考でもあるのである。大学教官の選考とは、いわば、「お見合い」的な活動なのだ(少なくともアメリカでは)。その辺のことを理解していないのか、あるいは、オレはこの大学の教授でオマエは求職者だ、オレはオマエより偉いのだ、とでもいうようなくだらないbigotryでもあるのか、「不愉快」と書いたような顔をこちらに向けてにこりともしない。もし私の教育抱負について本当に知りたいのなら、「教育についての言明が余りありませんでしたが、大学医学部は教育も重要な使命でありますので、教育への抱負をお聞かせ戴けませんか」と聞くのが筋である。私は教育について思うことがないわけではなかったのだが、現在教育には殆ど携わっておらず、発表時間も限られていたので、研究を主体に話しただけのことなのである。それに、私も教育に情熱があるわけではないし(そもそも、大学の基礎講座の教授選に応募する人で教育に情熱を燃やしているような人がいたら、お目にかかりたい)、現在教育には殆どタッチしていないので、教育について述べないという発表のストラテジーは意図的なものであって、それをどのように解釈するかは聴衆の自由なのである。本当に知りたかったら、普通にものを尋ねるときの作法を従ってストレートに尋ねればよいのである。彼は自分も同時に私や他の人に評価されているということを理解していないのかもしれぬ。あるいは、教授選では相撲部屋のしごきのように、多少、相手をイビッてやるのが聴衆としての務めであると勘違いしているのかも知れない。それで、私は彼よりは少なくとも人間的には大人であるから、もちろん、にこやかに念のために用意をしていた教育への抱負のスライドを出して、やりたくもない熱弁をふるうことになったのであった。

Thursday, April 16, 2009

一の巻(8)

 例えれば、これは、答案に名前を書き忘れたら答えが全部あっていても、0点にするという、日本お得意の減点式採点法である。名前を書き忘れるような奴に教官が務まる訳がない、日本語がちゃんとしゃべれない奴は研究ができるわけがない、そんなように候補者の能力を推測するやりかたである。事実、名前を書き忘れたり、仕事に必要なコンピューターを置き忘れたり、発表スライドを間違えたりするおっちょこちょいの優秀な教授は山のようにいる。彼らはもっと重要なことに意識を割いているから、細かいことを忘れるのである。こんな選考方式をとる大学が、研究とはなんたるか、大学教官の資質がどうあるべきか、とても理解しているとは思えない。そこの教官には、将来の自分たちの同僚が自分の大学や自身の研究にどのように益してくれるかということを評価しようとする真摯な態度がない。優秀な教授を迎えて、大学の研究レベルを上げ、皆で向上しようとする気持ちが全く汲み取れない。早い話が、そこの教官には、自分はここの教授であり、現在の生活の安定は取りあえず達成できたので、誰が来ようと義務さえ分担してくれたらそれで構わない、新しく来る奴の研究なんかどうでもよいと思っているように感じられるのである。こういう態度を私は、負け犬根性と呼ぶ。あるいは、がちがちの体制のなかで、皆心ならずも、やむを得ず従っているだけなのかも知れない。

Monday, April 13, 2009

一の巻(7)

アメリカでは何度か就職活動で面接に行ったこともあるし、セミナーに呼ばれたこともあるので、研究者の就職活動がどのように行われるかについて漠然とした予想というか期待があった。今回は、教授選ということでもあり、いくら何でも、それなりの対応があるのであろうと思っていた。アメリカでは、もっとジュニアの教官職であっても、普通2日の日程で、1時間ずつの発表を二回行い、10人以上の教官との個人面談があり、夜はそれなりのレストランに連れて行ってもらって食事のもてなしがある。丁寧なところだと空港まで、教室のチェアの人自ら送り迎えする。つまり、それだけの時間と金を使って、候補者をじっくり吟味すると同時に、よい人があれば、オファーを出した場合に向こうが是非来たいという気持ちにさせるようなもてなしをするのが普通である。勿論、そうした職には、多ければ数百の応募があって、倍率だけみれば、買い手市場のように見えるのだが、現実は、優秀な人を見つけるのはそう簡単ではなく、大学側もその点をよく承知しているから、面接に2日の時間をかけ、もてなすのである。日本の大学がこうした活動にどれだけ吝嗇かはある程度想像していたので、晩飯を奢ってもらおうとか、駅まで送迎リムジンをだしてもらおうとかは、勿論、全く念頭に無かった。しかし、面接が発表30分、質問10分、個人面談20分という合計1時間のスケジュールには、正直、恐れ入った。アメリカではジュニアの教官を雇うときでさえ、その20倍近くの時間をかけて、お互いを理解し合い、将来の仲間となる人を選ぶという目で面接をするのである。初対面で書類でしか知らない人とのたった一時間の面談、そんなもので何がわかるのか。だいたい、30分で研究、教育の概要と抱負を発表しろというのが無理である。今やっている研究の一部だけでも30分では足りない。普通、研究だけのセミナーでも1時間やる。それは1時間必要だからである。この30分の発表で、聴衆がわかることは、言葉がちゃんとしゃべれるか、コンピューターが使えるか、ビンボウゆすりとか変な癖がないかとかいう、研究能力を評価するのに余り役に立たない情報ぐらいである。

Thursday, April 9, 2009

一の巻(6)

時間に近づいたので、スターバックスを出て、地理のわからない病院と大学の敷地をうろうろし、その辺で大掃除の最中らしい事務員のような人に道を聞く。愛想は悪いが、わざわざ二階まで案内してくれる。管理棟の薄暗い廊下の突き当たりにある医学部長室に通された。さすがに広々とした絨毯ばりのオフィスで、大きな革張りのソファーセットがあって、剥製とかの置物がかざってあったりする。しかし、革張りソファーの皮の一部はすり切れているし、絨毯の色は褪せて安っぽいし、窓の木枠はシミ状に汚れている。こういったものの修繕に回す金がないのだなあ、とわびしい気持ちにさせられた。応対してくれた秘書の人は、「今、三番目の方の面接が進行中ですので、もう少しお待ち下さい」と言った。私は、どうもトリのようであった。教授選の面接を数人をまとめて、同一日にやるというやりかたに、私はまたまたショックを受けた。ここの大学の選考側は、教授職に応募してきた仮にも長年研究という活動に地道に取り組んできたプロの学者に対して、会社の新入社員を雇うときのような対応しかしないのである。早い話が、プロを迎え入れるという態度ではなく、「雇ってやる」という一段上からの卑しいやり方なのである。その後の選考委員長の話の様子からは、こういう形式をとるのは、学者という同業者に対して、さすがに失礼であるとは思っているらしいことが見て取れた。(大学に予算がないので、こんな面接になってしまったのです)と心の中では、ちょっとは申し訳ないと思っているような話ぶりだった。

Monday, April 6, 2009

一の巻(5)

大学は田舎の畑の中にある。二十年前の独身時代だったら好きになれたかも知れない。時間には早かったので、病院の正面口のところにできたスターバックスでコーヒーを飲む。日本の昔の喫茶店のコーヒーはもっとおいしかったと思う。神戸では西村コーヒーは会員制の店を持っていたぐらいだ。店員の人の愛想はよい。日本の接客小売業は立派だと思う。一息入れて、もって来た雑誌に目を通す。私は、何時にどこどこに行くということが嫌いである。余裕をもっていくといつも余裕を取り過ぎて時間を持て余すし、時間きっちりに着こうとすると間に合わないかも知れないと思って気が急く。そして、実際しばしば遅れる。誰かが、ぼーっとしていても、所定の場所に連れて行ってくれるというのが理想である。そうすれば、時間のことに気を散らすことなく、自分の仕事に集中できると思う。日本には昔から、時間を管理するのも自分の仕事であるし、下らない会議に出たり、つまらない事務書類を書くのも仕事のうちであって、そんな仕事さえ満足にできない者が、本業の仕事を十分に遂行することなどできない、という馬鹿げた観念があるように思う。人間を社会を構成する機械の1ピースと看做しているからであろう。人は社会が期待しただけのことを間違いなくやれればそれでよい、それ以上のことは勝手にやりなさい、という感覚である。この感覚は、学者や作家や起業家であろうと、サラリーマンやアルバイトであろうと同様である。例えば、自動車の生産ラインの人が期待されたことを行わず、勝手に行動すれば、まずいのは良くわかる。それは非常に限定された仕事を達成するという目的があるからである。然るに、学者や作家や起業家にとって同様の資質はむしろ害である。彼らの目標は彼らが設定するのであって、他から言われて働いているのではないからである。日本人の創造性をもっともダメにするのが、創造的仕事に自動車生産ラインでの仕事のモラルをそのまま適用しようとすることであろうと思う。そんなことを考えながら、スターバックスで時間を潰す。外はもう冬の夕暮れが近づいて来ている。どんよりした曇り空が暗くなってきた。

Thursday, April 2, 2009

一の巻(4)

所定の時間に間に合うように、単線電車に乗る。平日でも一時間に1-2本しか運行していない。単線のせいか、始終止まっては、時間待ちをする。その間、車内の温度を保つためか、ドアが閉まる。その間に乗り降りしたい人は、ドアの横にあるボタンを押して乗客自らドアを開け閉めするのである。大学最寄りの駅は電車で15分ほどの無人駅だった。降りるときは、先頭車両まで行かなければならない。駅で止まると、運転手がいきなり振り向いて、客室との境の窓を開け、切符を受け取ったり、清算をしたりするシステムなのである。無人駅をぐるりと回って、駅の南側の畑と住宅が混在する通りを大学方面へと下る。幹線道路を除けば、畑のあぜ道を拡げて舗装したという感じの通りである。背広を着てスーツ鞄を下げた中年の男の人が面白くないような顔をして、駅の方向へ歩いてくるのとすれ違った。(あとから思えば、今回の教授選の別の候補者だったのだろう)

Monday, March 30, 2009

一の巻(3)

 、、、とはいっても、郷に入れば郷に従え、これが日本のシステムである以上、悪法も法なりと、仰せの通りに書類を作成する。研究は続けたいが、やりたいことができないなら、廃業して健康管理センターで検診医師になればよい(その方が収入もずっとよい)そんな気持ちで応募したものだから、「仕事ください」と卑屈にお願いするというような態度でもない。とにかく、このような日本の教授選考システムであるから、応募したときは、そもそも書類選考で多分落とされるだろうと思っていた。面接にわざわざ呼ばれるとは思っておらず、面接への招待が来たときは、宝くじで三千円あたったようなときのような、意外な気持ちしかしなかった。おそらく、教授選の格好をつけるための当て馬なのだろうと思って、そのときには、新たに2年のグラントがおりる見込みがつきそうだったので、辞退しようと思ったが、「折角、呼ばれたのだからとにかく面接にいって、万が一、オファーが出たら、その時に辞退するかどうか考えたらいい」と妻に言われ、こうやって、遠路はるばる、この四方を山に囲まれた田舎町へと出て来たのであった。この県の県庁所在地である駅のそばの寂れたビジネスホテルに宿をとる。寂れていないホテルもあるのかも知れないが、駅前の様子を見ていると、この地方都市の経済規模というのはよく分かる。翌日、訪れた東京の銀座の様子から察しても、実は日本全体が単に不景気なだけなのかも知れない。

Thursday, March 26, 2009

一の巻(2)

インターネットのゴシップページなどから情報を集めてみると、基礎の教授選に出るには、自分の年令以上の数の論文がいるらしいとある。私の論文の数は年令には届かない。それなりの質の論文を書こうと思えば2年に1本というのが相場であろう。誰か知り合いと論文に名前を入れ合うとか、そんな「ずる」をしない限り「自分の」論文などそんなに数がでるわけがない。良い論文ほど出すのに時間がかかるのだから、良いものと数はそもそも両立しない。その大学の応募書類の指示を見ると、出版した論文が掲載された雑誌の2007年度のインパクトファクターを併記せよとある。インパクトファクターは出版年度で随分違うし、非常にいい加減な雑誌のレベルの評価法である。選考については、この数字を単純に足し算して、ある数字に達した応募者を機械的に選ぶというやり方をするのであろうが、そもそもそんな数字を足すこと自体、無意味である。ゴシップページでは、この数字が最低いくつないといけないとか、筆頭著者論文のインパクトファクターの合計が最低いくついるとか、そんな情報がまことしやかに書かれている。しかし、裏返せば、応募書類にこういう指示が明記されているということは、選考委員が論文の価値を定量的、定性的に評価する能力に乏しいと自ら明言しているのと等しい。アメリカでは、論文の数よりも質である。インパクトファクターを記せなどと指示されることは絶対ない。つまり、教官を選考する側は、そもそも教官の業績をそのような数字の助けなくとも、プロとして評価できるような人が選考を行う。日本の大学教官の採用は、殆ど大学入試で、新入生を取るのと同じ感覚で、ろくすっぽ、その候補者の能力を判断するだけの能力もないような者が数字の意味もわからないのに、その数字を見て選ぶのである。

Monday, March 23, 2009

一の巻(1)

田舎の某二流大学の医学部基礎講座の教授職に応募した。

動機は、家族を養うために職がいるからであった。私のような年になって、今後もなんとか研究業界でやっていきたいとなれば、選択肢は限られてくる。採択率15%未満のグラントに、研究はもとより、生活費のほとんどを依存するような現在の生活は、研究成果をあげ続け、グラントを取り続けることが必須である。然るに、研究などそもそも投資行為であって、8割以上のプロジェクトは失敗に終わるのである。グラントを取り続けるために、残りの2割を限られた年数で確実に「当てる」には、多数のプロジェクトを同時平行させ、当たりそうなものにすばやく目星をつけるという研究スタイルを取らざるを得ない。そうなると、自然と、やるべき研究、したい研究よりも、やれば当たりそうな研究が優先され、本当は、もっと重要で、だからこそ、容易に誰も見つけることが出来なかったような発見が見落とされる率が上がるのである。そして当たりをつけて全力投入したプロジェクトがこけるということも頻繁におこる。今のシステムではそんなプロジェクトがこけたら後はない、プロジェクトどころか研究業は廃業となる可能性が高くなる。この2年、「どうやったら、グラントがとれるか」という観点からばかりプロジェクトを眺めて来た。結果、ろくな成果は上がらなかった。大量の断片的な実験データと不完全な実験計画書の山が残っただけである。何よりのストレスは家族を抱えて、20年近くやってきたことを止めて、1年以内に別の職を探さなければならなくなるかも知れないという生活への不安であった。その点、日本の大学は義務さえ果たせば、少なくとも給料は出る。それが、日本の教官職へ応募してみようと思った動機である。しかし、私の年令からは日本で研究職を続けたいと思えば、教授選に出るという選択しかほぼ残されておらず、私の業績では地方の二流大学が精一杯という事情だったのである。

Thursday, March 19, 2009

まえがき(18)

ここまで書いて、まだまだ、超人と大衆との関係の理解が、私の駄文における悪口の作用を緩衝していれるであろう、と期待することの愚かさに気がついた。私の大衆がそれをさせるのだが、私の超人はそれに反対するのである。
 つい先日、本文での活動の結果を知った。別大学の候補者を採用することにしたとの通知で、自分自身も最初から興味を失っていたので、なんのショックがあったわけでもないが、拒絶の手紙を貰うのは、論文であれ、グラントであれ、何であれ、愉快なものではない。別に欲しくはないのに、正式にやらないと言われるとムッとするのは不思議なものである。
 数ヶ月前、小学校5年生のウチの子供の出来事を思い出した。ウチの子供は普段からよくつるんでいるXとYという二人の友だちがいるが、その二人のうちのお洒落できれい好きのYは、衛生環境を含めて色んな面でおおらかなXを余り快く思っていないようであった。その子から週末電話がかかって来て、遊ばないかとのお誘いであった。ウチの子はもう一人の家に行く約束を既にしていたので、「あいにく、Xのところの行くことになっているけど、よかったら一緒に来るか」と言うのが聞こえた。その子は「Xの家には行きたくない、汚いから」と答えたらしい。そのあと、ウチの子はすぐにXに電話をして、「Yがオマエの家は汚いから行きたくない、と言っていた」と言ったらしい。私は、Xのその電話への返答を聞いて、大笑いしてしまった。
「Yに伝えてくれ。愛してるよ、と」
さわやかな小学5年生である。その後、三人でよくつるんでいる。

憎しみには愛を以て返せと、キリストも言ったではないか。そう思い出して、私が行きたくもないと思った職場を、職場の方から断って来てくれたのだ、これは、感謝すべきことであった、ムッとするようなことではないと思い直し、この二流大学に向かって、愛の電波を送ったのであった。

Monday, March 16, 2009

まえがき(17)

私がスキーを始めたのは社会人になってからである。それまで、高校一年で習った物理法則のために、スキーというスポーツに強い偏見を持っていた。
「位置エネルギーは運動エネルギーに変換可能である」
スキーをするには、電気などのエネルギーを大量に消費しながら、リフトを動かし、スキーヤーを山の上までまず運ばねばならない。このことによって、スキーヤーの位置エネルギーは、まず上昇する。スキーヤーが斜面を滑り降りるにしたがって、位置エネルギーは運動エネルギー等へと変換されて徐々に減少し、麓についた時点でゼロとなる。スキーヤーはまたリフトにのって滑り降りるのを繰り返す。この一連のプロセスにおいて、ある任意のスキーヤーに着目し、位置エネルギーを縦軸に時間を横軸にしてグラフを描けば、ある一定の位置エネルギーの範囲を単調に往復するような波線を描くであろう。線はまず上昇し、頂点に達したあと、徐々に下降する、再び上昇し下降する、それを繰り返す。スキーを始める前の私のスキーというスポーツに対するイメージをあえて言葉にするならば、「位置エネルギーの周期的上昇と下降」であったと言えよう。これは、例えるならば、「人間」とは「下水管に目鼻」であると単純化することに近いかと思う。真理には違いない。人間が下水管であるという観点から、管の上に入れたものが下から出てくるのなら、最初から入れなくても同じじゃないか、という意見は無論、正しい。同様に、スキーが位置エネルギーの周期的変動の後にゼロになるなら、最初から麓のロッジの暖炉の横で、暖かいコーヒーでも飲みながらじっとしていても同じではないかという意見も正しい。更に言うならば、人間、いつか死ぬのだから、最初から生まれて来なくてもよい、という意見も当然である。大衆が「いらんことしい」に向ける冷たい視線には、大衆が恣意に(しかも無意識に)取っているこうした視点が与える価値観によって支えられている。「いらんことしい」が昔の無邪気さで「いらんこと」をする自由は、もう殆ど失われてしまった。スキーというものを知らず、スポーツや野外活動の楽しみを全く理解しないが、エネルギーの無駄には極めて感受性が高い、というような部族が存在したとして、彼らに、なぜスキーが楽しいのか納得できるように説明するときのことを考えてみよ。「太陽がまぶしかったから」という理由でさえ、「いらんことしい」の自由な精神にとっては、充分、煩わしい。「いらんことしい」が大衆の非難の視線の中で、そのアイデンティティーを損なわないために、それを積極的に守るという行為が現代では、不可欠となってしまっている。それが、ムルソーの司祭への「人は皆、特権者であり囚人なのだ」という叫びに象徴されていると言えよう。

Thursday, March 12, 2009

まえがき(16)

以上によって、私が「いらんことしい」であると認識しつつも、この文章と続く本文を書いたその理由を、朧げながら納得していただけたのではないだろうかと想像する。ここで、私が「いらんことしい」をするのは、私は大衆とは違って貴族であると主張したいのではないのか、と勘ぐっている人に対して、あえて、弁解しておきたい。言うまでもなく、大衆とか貴族というのはメタフォアである。人間というのは複数のペルソナをもっている。誰でも大衆的な面があり貴族的な面がある。「いらんことしい」はその貴族的面の特性なのである。カミュの「異邦人」の中で、ムルソーは殺人の理由を「太陽が眩しかったから」と弁明する。そのムルソーの改心を促そうと司祭が牢獄を訪れる。この小説では、ムルソーは間違いなく貴族の象徴として描かれ、対する司祭は大衆である。ついでに言っておくと、この小説に「不条理小説」というラベルを貼付けるのは、間違いなく大衆である。ムルソーの行為を「不条理」と考えること自体が大衆的であるからである。大衆たる司祭にムルソーはいらだち、「誰もが特権者で、誰もが囚人なのだ」と言う。これは、臨済の説法での「君たちは仏に会いたいと思うか?今、わしの前で話を聞いている君たちこそが仏に他ならない」という言葉と相似である(おそらく同意でもある)。ムルソーと司祭を通じて貴族と大衆の対立を描いたこの小説は、しかしながら、貴族と大衆は同一の個人の中に共存しているという観点を強く押し出してはいない。小説の効果を狙うという点から、それは「言わぬが花」ということなのだろう。幸い、多くの読者は既にそのことに気づいているようである。誰もが特権者と囚人であるように、誰もが貴族であり大衆である。このことに同意していただけるのなら、誰もが「いらんことしい」でありながら、誰もが「いらんことしい」を要らぬものと判断するだけの合理性を備えている、という複雑な人間心理も容易に理解できるであろう。

Monday, March 9, 2009

まえがき(15)

紅茶キノコはどう考えても気持ち悪い。その培養上清を飲用するというのは、キッチンのシンクに溜まった野菜くずで作ったスープを飲めというのに等しい。それが、紅茶キノコブームを知らない者の正直な印象であろうと思う。また自分の液状排泄物を摂取する健康法もある。こういった気持ち悪さを抑えて、効果も明らかでない健康増進作用という目的のために、紅茶キノコの培養液なり、排泄物なりを摂取するという行為は、「他にもそういうことをやっている人が周囲にいる」という、殆どその一点のみにその根拠が置かれているものと思われる。仮に排泄物の味が気に入っていても、「おいしいから飲んでいる」と笑顔で説明する人を、私はみたことがない。なぜなら、「排泄物を摂取しておいしいと感じること」は、例えそれが真実であったとしても、大衆の一員としてありたいと願うならば、その他大勢の同胞諸君の同意なしに言明してはならないことからである。「排泄物はおいしい!」と素直に言うことは、大衆にとってのもっとも恐ろしい罰である村八分の刑を受けることを意味すると、大衆は知っている。逆に、大衆が一旦、「排泄物だって、もともとは自分の身から出たものだし、それを摂取して悪いはずはない。おいしくはないが、良く、味わってみたら、まあ、イケるんじゃないか」というような線で、暗黙理に合意が拡大し、それが徐々に大衆に受入れられるならば、「うむ、悪くはない、いや、いいんじゃないか、一体、どうしてこれまでこの素晴らしさがわからなかったんだろう?」という段階を経て、「排泄物はおいしい!」とユニゾンで高らかに宣言できる日が来ることは容易に想像できる。しかし、この大衆がつくりあげるダイナミックな意識はそう長続きしない。なぜなら、その大衆の合意は、「排泄物を摂取するなんて、気持ち悪い」という大衆の気分を意に介さぬ超人の宣言によって、急速に退潮に向かうからである。超人の「いらんことしい」が、大衆の意識の波の方向性を変えるのである。即ち、それが、大衆の慣性にリズムを与えているのである。皆がそう言うから、裸のままでも王様は平気だった。その自信は、超人たる子供の一言によって、もろくも崩れ去ったのである。そういう点で、紅茶キノコ液を服用する人間の局所的なクリティカルマスがどのように形成されて、紅茶キノコが流行し、そして流行が廃れていったのかを考えることは大変興味深いと思われる。これは、フラフープやルービックキューブやタマゴッチなどが流行するのとは、明らかに異なるダイナミクスに支えられていると想像される。紅茶キノコというカビ(であろうと思う)の一種の培養液を飲むという行為は、カビが生えたものを食べるとおなかを壊すことがあるという経験則によって支えられる人間の生存本能とでもいうべきものに反する行為であるように思われる。しかしながら、本来、その生理的な抵抗でさえ、大衆は「皆がやっているから」という単純な規範によって、乗り越えていくのである。そして、おそらくその一点のみに危ういバランスで寄りかかっている大衆の自信は、上に述べたが如く、大衆と価値判断基準を共有しない超人の一言によって、砂上に築いた楼閣の如くに、瞬時にして失われる可能性があると考えられる。これは、まさに大量発生したイナゴが一斉に死への飛行へと飛び立って、空一面を覆い尽くす様を想像させるではないか。

Thursday, March 5, 2009

まえがき(14)

以上から導き出される結論は、「いらんことしい」は、一握りの、大衆ではない者たちの特権であるということである。周囲のその他大勢と同じであることに価値を認めず、その他大勢から村八分にされることに恐怖を感じない、そのような誇り高い超人にのみに与えられた特権である。あるいは、ほとばしる「生」のエネルギーを自ずから一人、素手で掴もうとせんが如くである。さもなくば、大衆が周囲の者と同様に行動するという矩に従って、大衆が一斉に「いらんことしい」を始めたら、その行為の汎在性によって、「いらんことしい」が「いらんことしい」で無くなってしまうというパラドックスに落ち入ってしまう。携帯電話を思い浮かべてみよ。私は携帯電話を持っていない。携帯電話が発明される前から、私は電話で相手の顔を見ることなく人としゃべるということが嫌いであったから、電話は余程の必要が無い限り使わなかった。そんな私にとって、スーパーや道ばたなどの公の場所で、わざわざそこに居ない誰かに電話をすること自体、「いらんことしい」である。公けの場所で考え事をしている時に、横にいる他人が電話でどこかに遠く離れた人間と話し出したりすると、迷惑である。然るに、国民の大多数が、電話を携帯し、ところ構わず携帯電話を愛する同胞たる大衆に電話をかけるという行為が近年かくも一般化したため、その汎在性によって、大衆にとっての携帯電話で会話をするという行為は、すでに「いらんことしい」で無くなってしまった。公の場所でところ構わず、電話をするという行為そのものが変化したのではなく、「いらんことしい」を判断する大衆の基準が変化したのであり、その理由は、「皆がやっているから」である。「皆がやっているから」という理由で、ポイ捨てしたり、赤信号を無視したりしてはいけないと、私は学校では教わった。にもかかわらず、「皆がやっていることが正しい」とする大衆の価値基準は、「誰も、学校で教わった正しいことは守っていない(だからこそ、学校で教えるとも言えるのであるが)」という認識によって、「ある種の正しいことを行うことは正しくない」という矛盾語法が瞬時にして正当化され、「正しさ」はダイナミックな大衆の行動規範によって、常に上書きされてしまう。ならば、大衆とは赤信号を皆で渡る者であると定義してもあながち誤りにはなるまい。

Monday, March 2, 2009

まえがき(13)

「いらんことしい」のない世の中を考えてみよ。それは、喩えて言うならば、クリープを入れないコーヒーとクリープを入れたコーヒーを、違いの分かる男が飲み比べて「違わぬ」と断言するほどに、味気ない世界である。蛇足を承知で付け加えさせていただくが、ここにおいて、クリープは「いらんことしい」のメタフォアであると捕えてはならない。「クリープを入れても入れなくても違わない」という、(クリープの身になってみれば)外部世界からの絶対否定、存在の拒絶、言いようのない虚しさ、やるせなさ、そういった機微を無神経に無視することによって達成される、スムーズできれいな世界、それが「いらんことしい」のない味気ない世界であると言っているのである。即ち、「いらんことしい」は存在の悲しみである、たとえば狐の革ごろもである。無いからといって、なぜ困るのか、言葉にしにくい。しかし、あるいは、それこそが、人間と動物を、貴族と市民を、超人と畜群たる大衆を、分けているものの正体なのではないのか。大衆は周囲の人間と同様であることという相対的かつ表面的な特性に価値を求めながら、その根拠に意識的でない。にもかかわらず、その価値判断基準に極めて高い自信を持った存在である。一方、超人たる貴族は「いらんことしい」である。それは、その他大勢と同様であるという状態に価値を認めないからである。一方、逆に、トイレに醤油瓶を流してトイレを詰まらせるという行為に、大衆は価値を認めない。なぜなら、同胞たるその他大勢の人々はトイレに醤油瓶を流さず、同胞たるその他大勢の人々が流すと同様のものを流したがるからである。このトイレに決まったものを流し続けるという行為において、大衆には、トイレがそもそもそういう目的のために設計されているという歴史的事実に、すでに自覚的でない。大衆は、単に、周囲の皆がそうするからという理由で、トイレに皆と同じものを無批判に流し続けるのだ。だから、トイレに自分たちが流すものと違うものを流すと、批判し、後ろ指を指し、村八分にする。自らと異なるものを村八分にするという行為そのものが、痛烈な大衆自身の自己批判となっていることに、大衆は悲しくも気づかない。

Thursday, February 26, 2009

まえがき(12)

いよいよ筆を置く時が近づいて来た。永遠に「まえがき」を書き続けるわけにはいかない。挨拶は別れの始めと言う。現世は流れる川のごとし、人の生はその淀みに浮かぶ泡のごとき存在である。僅かな間、水の表面に丸く浮かんでは、陽の光を一瞬キラリと反射して、はじけて消えていく。死があるから生は尊い、終わりがあるから遊びは楽しい。本文やあとがきがあるからまえがきが意味を持つ。無理を承知で付け加えさせて頂くなら、「いらんことしい」があるから「要ること」が為されるとも思う。否、「いらんこと」を極め、これでもか、これでもか、と「いらんこと」をすることは、畢竟、「要る」を生ずるのであると、私は積極的に「いらんことしい」を肯定したい。上の息子が4-5歳ごろは「いらんことしい」であった。トイレの能力を調べるために、醤油の瓶を流す実験とか、ケチャップの芸術性を検討するために、新品の洋服や台所の床にアートしてみるとか、私にはちょっと思いつかないようなアイデアを披露してくれた。また、バラエティーに富んだ「親の我慢の限界を確かめる実験」の独創性には、ほとほと感心したものである。これらの「いらんことしい」が、どれだけ私たちの人生を豊かにしてくれたか、と振り返って考えてみれば、「いらんことしい」に感謝の言葉もない。

Monday, February 23, 2009

まえがき(11)

中高一貫教育だった私の母校で3年上のプログレッシヴロックグループ、「ブレインウェーブ」はディストーションの効いたギターを全面に押し出し、スケール、和音進行、モードといった従来の音楽常識の枠にとらわれない前衛的演奏で文化祭の人気グループとなった。後に判明したところによると、リードギタリストは、スケールとか和音進行とかの音楽常識そのものを知らなかったらしい。よって、すべての演奏は既存のロック音楽のアンチテーゼとしてではなく、謂わば、「de novo」のアヴァンギャルドというべきものにならざるを得なかったという事情であった。それはともかく、そのブレインウェーブのメンバーの同級生によって結成され、三和音循環コードを究極教義とするフォークグループ「いらんことしい」のリーダーは、彼女からのプレゼントの舞台衣装である「IRANKOTOSHI」と胸に赤文字で編み込まれた白いセーターを着て、古き良きフォークソングを歌うのであった。人間のあらゆる行為は原則的に「いらんことしい」であるという当時高校生であった彼らの慧眼は注目に値する。故山本夏彦氏が言った「私のやることは全て死ぬまでの暇つぶしである」との観に通ずる。むしろ、「暇つぶし」には自己満足的な閉鎖感があるが、「いらんことしい」には、自ずからの枠を越えて、社会に働きかけようとする積極性のようなものが感じ取られるという点で、よりスケールが大きいとも言えよう。

Thursday, February 19, 2009

まえがき(10)

以上のように、書き手と読者との関係、読書における想像力の重要性について論じて来たわけであるが、それは、元を正せば、この「まえがき」が、続く本文が与えるであろう読者の不快感ならびに筆者に対する反感を多少なりとも軽減せんことを欲したゆえであることは文頭に述べた通りである。人が不愉快になるようなものをわざわざ書くぐらいならば、公けにせず、こっそり秘密の日記にでも記せば良かろうという意見が出てくることは自然であると思う。これは、永井荷風的「襖の下張」心理と脈を通ずるものであることは言うまでもない。然しながら、発禁覚悟で「四畳半襖の下張」の出版を断行した、野坂昭如の反体制気質とは趣を異にするものであると、念のため断っておきたい。「襖の下張」に反体制意識はない。それは繊細で多少屈折した純粋な表現欲の発露である。野坂はその芸術性ゆえに「襖の下張」が反体制に利用できると考えたに過ぎない。話をもとに戻そう。読者の不快を想定してとしてまえがきで予防線を張るという行為をあえて行うことは、本文がある種の純粋な表現欲の発露である場合は、正当であると考えられる。然るに、私自身は、続く本文が表現欲の発露であるという認識はない。私の筆が走るがまま、ごく自然に、書き付けただけである。読む人によっては、友だちに向かって「おまえのかーちゃん、デベソ!」と子供が叫ぶと同等の価値しか認め得ないことは十分考えられる。勿論、「おまえのかーちゃん、デベソ!」と叫ぶ行為に芸術性の一片を認め得る者のあることも想像に難くない。夕日に向かって、思いっきりこの言葉を叫ぶならば、それはただの安っぽいパロディーにしかならない。しかし、世界の中心で、誰に向かって言うわけでもなく、そしてそのシニフィエを超越した境地において、この言葉が詠われるならば、それは一編の詩である。「デベソ」という言葉が、背景から切り取られ、違った角度から眺められることによって、詩性は読み取られる。いうまでもないが、「デベソ」には内在的な芸術は存在しない。ポジションが「デベソ」を昇華させるのである。話をもとに戻そう。言わなければ何の問題にもならないことを、わざわざ言って、問題を作り上げておきながら、その問題を自ずから解決しようとするような態度は、仮に「襖の下張」的芸術性に貫かれていたとしても、やはり屈折している。この自己矛盾を私は、逆マッチポンブと名付けよう。あるいは、わが母校の軽音楽部の伝説のフォークグループの名に因んで、「いらんことしい」と呼んでもよい。火のないところに火をつけて煽っておいた上で自ら消火活動にあたり、その混乱に乗じて利己益を図るというのがマッチポンブなら、私のやっていることは、その行いによって、むしろ「不益を被る」可能性が高いという点で、確かに、やらない方がよい活動と言える。

Tuesday, February 17, 2009

まえがき(9)

例えば、数学のクラスにいない子が「今現在、数学の問題を解いていない」と結論できないことは自明である。クラスにいないことから分かる事は「数学の問題を解いているという証拠はない」ということだけである。だから本当は数学のクラスをさぼって校舎の屋上で、「ナビエ-ストークス方程式の解の存在と滑らかさ」についての考察を行っている最中かもしれないし、あるいは、やはり単にさぼって映画を見に行っているだけかもしれない。数学のクラスにいないということから、私たちは、単純に「またさぼって、映画でも見ているのだろう」という、より可能性の高い結論に安易に手を伸ばしたがるが、われわれはそこで一瞬、留まって、「証拠がない」ことは「ないことの証拠」にはならないということに意識的に注意を払うべきであろうと思う。「ない」ことをできるだけ厳密に言いたければ、多くのコントロールをとって、「あるとは言えない」という段階から「ない可能性がかなり高いと考えられる」というレベルまで持ち上げていかねばならない。そのためのコントロールは常に簡単に見つかるとは限らないし、多くの可能性を想像すればするほど、各々の可能性に対する数多のコントロールを用意しなければならない。よって、通常、単に「ない」という言明の多くは、「何かのあるべきものがあるべき所にない」という限定的な「ない」をはるかに超越したものであることが多く、よって、限定なしの「ない」という結論には常に弱みがあることに、われわれは意識的でなければならない。即ち、「ない」というnegativeな表現を肯定的に断言するという行為は、場合によっては、無数ともいえる「ない理由」の可能性の一つ一つを否定した末に茫洋と現れたものを確信的に捉えることであると私は定義する。したがって、私が「想像できない」と書いた事を持って、私が想像力の乏しい横着者であると早合点した読者には誤解がないように申し上げたい。私は横着者ではあるが、想像力は乏しくない(と少なくとも私は信じている)。更に言えば、私は想像力の豊かな横着者なのである。そして、このまえがきでも「です、ます」調では書かないという横着をしながら、あえて、言い訳がましいことを長々と書き連ねているというこの事実に、私の想像力と横着力のコンフリクトが発する摩擦熱を感じことのできる想像力豊かな読者も少なくはないであろうことを、現に私は想像できるのである。

Thursday, February 12, 2009

まえがき(8)

ここで、私が「想像できない」と書いたことに対して、想像力の乏しい読者は、「それは想像力が豊かである」と言った私自身の前言に反するのではないか、と反論するものもあろうかと思うので、あらかじめ、説明しておきたい。「想像できない」とは「想像力が乏し過ぎて想像するという行為遂行が不可能になる」のではない。むしろ、あらゆる想像力を駆使して、想像力の及ぶところをくまなく細心の注意を持って眺め、その想像力を持って、想像力の及ばない領域をあえて想像してみても、なお、その事象というものが、想像力の絶対限界の外に存在するということを見極めた、との意である。喩え話をしよう。科学ではネガティブデータを嫌う。なぜなら、「ない」ということを、厳密性を持って断言するのは困難だからである。「ない」には沢山の理由がある。今日、学校を休んでクラスにいない子供が、どこで何をしているかはまずわからない。一方、クラスにいる子供が何をしているかを知るのは容易である。統計では「有意な差の有無」の検定は、帰無仮説を棄却することによって行う。即ち、「差がある」ということを直接証明することはできないので、一旦「差がない」と仮定した場合に、観察された事象が統計的確率に合致しないことを示して、その「ない」という仮説を棄却し、「なくは無い」という二重否定によって、「ある」ことを証明するのである。このように「ある」ということは「ない」の否定により証明できる一方、「ない」ことは「あるとは言えない」、即ち、「なくはないとは言えない」という形でしか提示されない。ここで、「あると断言できない」ということ(つまり帰無仮説を棄却できないということ)は、例えば、現時点ではあるとは言えないが「もっと良く調べたらあるかも知れない」という可能性を否定するものではない。そして、実際にもっと良く調べても、やっぱりあるとは言えないという結論に達したとしても、「もおっーと、もおっーと、良く調べたら、ひょっとしたらあるかも知れない」という可能性は残っていく。そういう理由で「ない」と断言することは、困難なのである。

Monday, February 9, 2009

まえがき(7)

斯様に想像力というものが、人類の相互のコミュニケーションにおいて、重要であるにも係らず、現代社会において、想像力の欠如というのは、極めて憂慮すべ き状態にあると言わざるを得ない。その理由をインターネットやマスメディアを通じた画像情報の氾濫に求むることが正しいかどうかについて、ここでの議論は 差し控える。それはまえがきには過ぎた役割であると信ずるからである。理由はどうあれ、想像力の欠如という現象は間違いなく、現代人を蝕んでいるというこ とは感じ取れる。しかし、それがどういう客観的根拠に基づく結果であるのかということをここで詳しく説明はしない。なぜなら、それは第一に私が感じとった 主観的判断に過ぎないので主観的判断に客観的根拠を求めることが矛盾であると思うからである。ここで、例えば、ユング的な集合的無意識的概念を持ち出し て、主観にも客観的根拠があって然るべきであると議論する読者の出現は大いに予想される。実を言えば、私も「同じ人間じゃないか、心は通じあう」みたいな 考えを支持するものである。しかし、これは逆説的であるが、人はその人生を生きるのはその人以外にないという事実、即ち、人間は絶対的に孤独であるという 前提があるが故に、人間同士は分かり合えるのだという込み入った事情があることを理解しておくべきであろうと思われる。想像力の欠如が現代人を蝕んでいる という感覚を支持する客観的根拠について議論しない第二の理由は、そう議論することがこのまえがきにも本文にも多大な関連があると想像できないからであ る。

Thursday, February 5, 2009

まえがき(6)

これで、そろそろ、まえがきが果たすべき役割は果たせたのではないかと想像するのだが、私の想像であるから、それが現実をどれほど反映しているのか、本当はわからない。私は想像力に比較的めぐまれている方であると思うが、想像力に乏しい人というのは現実に存在し、そういう人の想像力の欠如の程度を想像するのは、いくら想像力には自信のある私にも困難であることは容易に想像できる。故に、私が想像によって、想像力に欠如した人が私のこの文章を読んで、どれだけ納得してもらえたか、を推量するすることは、易しくない言わねばならぬ。即ち、それは私の想像力が乏しいのが原因ではなく、豊かな想像力を持ってしても、想像困難な想像力の欠如という状態におかれている読者の理解力を推し量るのは難しいと言っているのである。読書における想像力というのは文字の繋がりの中から意味を創出することであり、それなしに、書かれたものの理解はなりたたないという類いの資質である。よって、その欠如ゆえに文章を理解し得ない読者の無理解は読者の責任であって、私の想像力の及ぶところではないということである。更に言えば、前にも触れたように、読書というのは、書かれた文字という実体をきっかけに、読者がその想像力をもって、有機的な立体感ある何かを描き出すという共同作業であり、従って、読者が、このまえがきの役割を果たして正しく理解しているかどうかは、半分以上は読者の能力に依存する。私には、そもそも、その読者像が必ずしも分かっているわけではないので、私の想像力をもってしても、想像力の欠如した読者の割合やその程度、そしてその結果、おこるであろう無理解ののべ面積は想像不可能であると弁じたいのである。

Monday, February 2, 2009

まえがき(5)

と前節を書き終えたところで、「デクさん」の出典に、偶然、デクわした。柴田元幸という米文学者の書いた「生半可な学者」というエッセイの中の一節の中に紹介されていたのであった。なるほど、と読み直してみると、これは、別役実の本、「道具づくし」の中にある「おいとけさま」という道具の解説であることがわかった。おいとけさまは東北地方に伝わり、そこから「こけし」が派生した云々とあって、頷いて読んでいると、どうもこれは全部、別役実の作り上げたフィクションであるらしい。なお、家族でいったうなぎ屋で「並のうな丼」を頼むという話も、原典は、別役実の「私版悪魔の辞典」の「貧乏」の項で、貧乏の繊細さについて述べた一節である。ということで、前段の話は、文字となったフィクションが本という実在を経て、私の記憶の中で、事実と誤認されたものであったものであったことが分かったことをお断りしておく。
しかしながら、そもそも事実とは何であるか?虚構とは何であるか?虚構を思いついたこと自体は事実であると言える。また逆に、例え、「事実」と考えられているものであっても、その事象そのものをどこかにそのまま移すことは出来ないのだから、特に紙に書かれてしまったものは、誰かの眼なり耳なりといった知覚器官を通して捕えられた情報が更に脳での解釈というプロセスを経て提示される「間接像」であると捉えることが出来よう。従って、紙に書かれたものは既に「事実」そのものではあり得ない。そして、その文字化のプロセスにおいて、書き手の意識的、あるいは無意識的な修飾や省略を経たであろうことも想像に難くない。故に、「事実譚」として書かれたもの、語られたすべてのものには、読者の大多数が「実際に起こったこと」であると疑いを挟まぬであろうような事項に加えて、少なからずの虚構が交じっているといって間違いないであろう。まして、それを読んで解釈する読者にとっては、読み間違い、勘違い、解釈違い、さまざまな事故によって、今回の私のように、全くの虚構をある種の物理的に地上に存在したものを記述したものと誤認するようなことは、しばしば避けられないと思われる。しかし、一歩下がってみると、そもそも、ここで虚構というが、おいとけさまが本当に虚構であるとう証拠はないのである。これは、別役実がウソのかたまりの本を書いた(らしい)という認識によってのみ支持されている。確かに、民俗学者は「おいとけさま」や、鼻につめて修行(臭行)するという臭気を発する神品、「はなじごく」の実在を確認できない。しかし、後にも述べる通り、「確認できない」ということは「存在しない」ということを必ずしも意味しない。あるいはひょっとしたら、このような道具のプロトタイプのようなものは存在していて、別役実が意識的か、無意識にか、それを頭の中でふくらませた結果として、おいとけさまが生まれたのかも知れない。「虚構だから価値が低い、事実だから意味深い」との価値判断は、虚構と事実が水と油のようにきれいな境界をなして分離しているという思い込みから由来すると思う。あらためて言うまでもなく、虚構と事実は、特に過去について語る場合は(厳密には過去でないものについての事実を語ることは不可能であるが)、お互いの中にお互いを取り込むような形で混じりあっていると考える方が無難であろう。

Thursday, January 29, 2009

まえがき(4)

さて、人の眼を見つめてしゃべる、で思い出したが、どこかで読んだ話で、「こけし」の由来が解説されていた。「こけし」というものは、そもそもは、等身大の実用の木彫りの人形(この人形の名前がでてこないのだが「xxxさん」とさんづけで呼ばれていたように覚えている)の携帯版であるという説を知った。ここでは、いちいち「その木彫りの人形」というのも面倒なので、「デクさん」とでも呼ぶことにしよう。(実は、等身大の実用人形ということで、インターネットで名前を検索しようとしたのだが、ひっかかってくる検索結果の殆どが、ビニールなどで出来た独身成人用のもので、しかも「こけし」との関連を調べようとしたら、ますます検索は本来と違う方向にいってしまったので、名前を調べるのを断念した次第である)その実用人形、デクさんの用途というのが、素晴らしい。つまり、誰かに言いにくい話をするとき、あるいは単に気まずくなったりした時に、デクさんに出て来てもらうのである。日本では、国会でも、相手の眼を見て、面と向かって批判はしない。そうすると、台湾の議会などでおこったように、つかみ合いの喧嘩に発展したりするからであると私は思う。言いにくい事を相手の眼を正面から見て言うのには勇気がいる。言われる方も追いつめられ、白か黒か、はっきりした答えを口にせざるを得なくなる。その対決の結果は、大抵、どうころんでも良いことはならない。だから、相手が隣にいるにも係らず、言いにくい事は直接相手に言わずに、デクさんに相談するのである。また、相手もデクさんに対して返答する。このように、人形を使って、ワンクッションを置く事によって、話は二者間の正対する力のぶつかり合いにならずに済み、両者が一歩ずつ違う方向に動くことによって歩み寄れるというわけである。この方法は、アメリカのカウンセリングなどでも使われている。コメディーショーなどでよく見る、カウンセラーが操るソックパペットと呼ばれるソックスで作った人形に向かって、コンフリクトを抱える二者が意見を言う、という例のやつである(しかし、多分これは作り話であろう)。「こけし」はデクさんの携帯版であり、面と向かって「個」が対立するのを防ぐ「個消し」であるという説であった。最近の若者や首相は、空気を読んだり心の機微を察したりするような繊細さを欠くものが多いので、デクさんのようなものの存在意義を理解できないかも知れないが、本来、人と人とのコミュニケーションというのは、僅かな臨時手当てが出た日に家族で初めて行ったうなぎ屋で、「今日の所は、並にしておくよ」と注文する時のように、繊細なものなのである。決して、一杯のかけそばを分かち合うようなものではないと言っておきたいと思う。(この喩え、わかっていただけたでしょうか?)

Monday, January 26, 2009

まえがき(3)

「まえがき」が本文を読むであろう読者に向けて書かれているということは自明である。読者が本文を読む際の補助となることを目的として、「まえがき」は書かれる。そこで、読者や聴衆に対して語るということについて、もう少し述べておきたいと思う。誰かに向かって語るということは、聞き手の反応を予測し、その予測に基づいて、聞き手の心理を、ある意味、操作しようとする行為である。聞き手はその操作に乗せられて協調的な気分になることもあれば、逆に操作を受けまいと抵抗することもある。いずれにせよ、まずは語り手が最初の一手を下さなければならないというこの相互作用の性格上、それが攻撃になるか、懐柔になるか、懇願となるか、その語り聞くという作業のトーンを決めるのは、まずは語り手の出方やその後の態度に依存するというのは改めて言うまでもないであろう。聴衆に語りかける時、アメリカでは、真っすぐに眼を見つめ、相手の反応を見ながらしゃべる。眼をそらすと、やましい事を隠していると思われる。そもそも眼も見ないでしゃべるのは、相手を無視するようで失礼であるという文化的理解がある。これは科学論文と同様、多民族国家であるアメリカで、いろんな言語的、文化的バックグラウンドの異なる人々が「間違いなく」意思疎通を図るための手段であったのだろうとと考えられる。しかし、日本では、逆に相手の眼を正面から見ながらしゃべる方が失礼である。じっと眼を見ながらしゃべると、喧嘩を売っているのか、あるいは必要以上の好意を示しているのか、と勘ぐられて、いずれにせよ、余りcomfortableでない状況を創り出す。だから、この文章も、「ストレートにあなたに向かって、あなたやあなたの周囲の人を、批判しているのではないですよ、あくまで、自分が知覚した周囲の環境からのインプットに対して、自分の心の中に生み出したものを記述しているに過ぎなのです」ということをしつこく断っておきたい。そして、その周囲の環境にあなたやあなたの周辺の人々が含まれるかどうかは、私にはわかりません、と逃げておく。

Saturday, January 24, 2009

まえがき(2)

書き手と読者が言外のメッセージを読みとるためには、文化的教養を共有することが不可欠である。書かれてある文字列を、暗喩される特異的なコンテクストに入れて解釈することによって、行間は読まれる。「ぶぶ漬けでもどうどすか?」と京ことばで聞かれて、「いただきます」という答はあり得ない。山といえば川、ツーと言えばカーが頭に浮かぶことを書き手は期待している。読者はその意図を汲み、行間に隠された流れを先取りして読み進む。そうして、書き手と読者とのコラボレーションが何らかの意味を動的に創出すること、それが読書と言う作業と言って良い。あるいは、書かれたものと書かれていないものが読者の中で有機的結合を遂げる時に読書が成立すると言い換えることも可能であろう。その点、科学研究者の中には、勧められたら、喜んで、ぶぶ漬けをおかわりするような輩が少なくない。彼らは文章を文字通りに読む訓練を積んで来ている。だから科学論文は、中学一年の英語の教科書のような文章で書かれるのである。一つの文には主語と述語は一つずつ、長い文は二つ以上に分ける、例え話をしてはいけない(本気にされるから)。言いたいことが、字面に書いてあるそのままに過不足なく表されていて、どこの誰が読んでも読み間違えないこと、などに最も注意して書かれる(そうでなければ、レビューアにいじめられるから)。一方、明らかに言外のメッセージを読み取っておきながら、わざと気づかぬふりをするような意地の悪い者もある。これは、ヤクザが言質をとって善良な一般市民を脅すのと同類である。ともあれ、私はここに断言しておきたい、私はヤクザの脅しには屈しない、と。

Friday, January 23, 2009

まえがき(1)

まえがき

次に記すことは、昨年の末の実際の体験をもとに思うところを書いたものである。何のためにという目的があったわけではない。時差ぼけで夜中に目が冴えて、時間を持て余したので、感じたことをそのまま書いただけである。だから、普段私は、人の目に止まる可能性のある文章は、丁寧語を使って書き、なるべくoffensiveなことは書かないというポリシーで書いているのだが、ご覧のようにすでに、この文章は「です、ます」調では書いていない。ブログに載せようと思ったのは、書いてからしばらく経ってからで、こういう体験記を余りインターネットで目にすることがないので、ひょっとしたら、私と同様の事を活動中もしくは活動予定の人の参考になるのではないかと思いついた。つまり、私の個人的な体験記であっても、読む人によっては何らか社会に益することもあるかも知れぬと考えたので、ちょっと完結した形が見えるまで書き続けるかと思った次第なのである。「です、ます」調にしなかったのは、一つには直すのが面倒臭かったからであるが、第二には、この文章は、基本的に悪口であって、今更、offensiveとならないよう、読者の感情を傷つけないように、という配慮を、多少の修辞上の小技でどうにかしようとしても、「口紅を豚に塗っても、豚は豚」ではないが、もはや意味がないであろうと思ったせいもある。つまり、どうせ、悪口を言っているのだから、正々堂々と、悪口らしい悪口をあたかも悪口を言うかのような口調で言う方が潔くて良い、と感じたということである。因みに、これを書いている現段階では、活動の帰趨については、私はまだ告知されていない。従って、悪口を書いている理由というのは、別段、先方が私の意に沿った返答を返してくれなかったための恨みを解消せんとするような理由からではないと断っておく。この本文の悪口とは、実は、公平な批判である。感情的なものは余り入っていない。しかし、批判というもは、それが的をついている場合に、最も人の神経に触るということを、私は知っている。そして、私の批判は的を突いているのである。従って、日本の地方大学に活動する教官は、この本文を読んで少なからず不愉快に思うものもいるであろうと想像している。という事情ではあるが、そもそも、読んで不愉快に思うなら人は読まないであろうし、不愉快なのにきっちり最後まで読んで「不愉快だ」と文句を言ってくるような奇特な人があれば、それはそれで、議論を戦わすに値する、と考えた。また、不愉快なのに最後まで読んで「不愉快だ」と文句も言わずに、不愉快を自分一人の胸に閉じ込めて、上目遣いに敵意の光線を送ってくる読者もあるかも知れぬ。それについては、傲慢かも知れぬが、こう言わせてもらおう。私は無言の敵意光線に非常に感受性が鈍いから、そんなものに私が気がついて行動を改めるとでも考えているのなら大間違いだ、と。不愉快を胸に閉じ込めて、限られた人生の貴重な時間を無駄にするのは、そちらの損である、それに、私はチビだから上目遣いの光線はあたりません。斯くの如く、複数のシナリオを勘案した上で、覚悟を決めて、「正直に悪口を書く」という、この行為に及んだ次第である。しかし、そう開き直ってはみたものの、多少の小心さのために、「まえがき」で、「これから悪口言いますよ、この悪口には悪気はありませんからね」と、何はともあれ断っておいた方が、本文を読んでむっとするであろう将来の同業者の心証も必要以上に悪くせずに済むのではないか、とのセコい計算のもとに、この「まえがき」は書かれている。このまえがきは、本文と異なり、はじめからあきらかに自分以外の読者に向けて書かれている。にもかかわらず、「です、ます」調ではない。その理由を、多少、述べさせてい戴きたい。それは、「これらの悪口はあなたに向かっていっているのではありません。ここに書いたことはそう感じた私の中の私に向かって声にしているだけなのです。だから、この文章は、本来、私の独り言なのです。ね、わかるでしょう?独り言だから、どんな風にしゃべっても、多少、言葉遣いが悪くても、あなたに向かって言っているわけではないのですから、許して下さいよ。そうでしょう?」という言外のメッセージを伝えるために、わざわざ「です、ます」調を避けているのである。しかし、本来、言外のメッセージというのを全く読み取ってくれない人が世の中には思いのほか多いということは、科学論文を読んだり書いたりしたりした間に、いやというほど学んだので、蛇足を覚悟で、本来、言外であるべき「言外のメッセージ」をこうして、解説してみたというわけなのである。