Thursday, March 26, 2009

一の巻(2)

インターネットのゴシップページなどから情報を集めてみると、基礎の教授選に出るには、自分の年令以上の数の論文がいるらしいとある。私の論文の数は年令には届かない。それなりの質の論文を書こうと思えば2年に1本というのが相場であろう。誰か知り合いと論文に名前を入れ合うとか、そんな「ずる」をしない限り「自分の」論文などそんなに数がでるわけがない。良い論文ほど出すのに時間がかかるのだから、良いものと数はそもそも両立しない。その大学の応募書類の指示を見ると、出版した論文が掲載された雑誌の2007年度のインパクトファクターを併記せよとある。インパクトファクターは出版年度で随分違うし、非常にいい加減な雑誌のレベルの評価法である。選考については、この数字を単純に足し算して、ある数字に達した応募者を機械的に選ぶというやり方をするのであろうが、そもそもそんな数字を足すこと自体、無意味である。ゴシップページでは、この数字が最低いくつないといけないとか、筆頭著者論文のインパクトファクターの合計が最低いくついるとか、そんな情報がまことしやかに書かれている。しかし、裏返せば、応募書類にこういう指示が明記されているということは、選考委員が論文の価値を定量的、定性的に評価する能力に乏しいと自ら明言しているのと等しい。アメリカでは、論文の数よりも質である。インパクトファクターを記せなどと指示されることは絶対ない。つまり、教官を選考する側は、そもそも教官の業績をそのような数字の助けなくとも、プロとして評価できるような人が選考を行う。日本の大学教官の採用は、殆ど大学入試で、新入生を取るのと同じ感覚で、ろくすっぽ、その候補者の能力を判断するだけの能力もないような者が数字の意味もわからないのに、その数字を見て選ぶのである。

No comments:

Post a Comment