Thursday, March 19, 2009

まえがき(18)

ここまで書いて、まだまだ、超人と大衆との関係の理解が、私の駄文における悪口の作用を緩衝していれるであろう、と期待することの愚かさに気がついた。私の大衆がそれをさせるのだが、私の超人はそれに反対するのである。
 つい先日、本文での活動の結果を知った。別大学の候補者を採用することにしたとの通知で、自分自身も最初から興味を失っていたので、なんのショックがあったわけでもないが、拒絶の手紙を貰うのは、論文であれ、グラントであれ、何であれ、愉快なものではない。別に欲しくはないのに、正式にやらないと言われるとムッとするのは不思議なものである。
 数ヶ月前、小学校5年生のウチの子供の出来事を思い出した。ウチの子供は普段からよくつるんでいるXとYという二人の友だちがいるが、その二人のうちのお洒落できれい好きのYは、衛生環境を含めて色んな面でおおらかなXを余り快く思っていないようであった。その子から週末電話がかかって来て、遊ばないかとのお誘いであった。ウチの子はもう一人の家に行く約束を既にしていたので、「あいにく、Xのところの行くことになっているけど、よかったら一緒に来るか」と言うのが聞こえた。その子は「Xの家には行きたくない、汚いから」と答えたらしい。そのあと、ウチの子はすぐにXに電話をして、「Yがオマエの家は汚いから行きたくない、と言っていた」と言ったらしい。私は、Xのその電話への返答を聞いて、大笑いしてしまった。
「Yに伝えてくれ。愛してるよ、と」
さわやかな小学5年生である。その後、三人でよくつるんでいる。

憎しみには愛を以て返せと、キリストも言ったではないか。そう思い出して、私が行きたくもないと思った職場を、職場の方から断って来てくれたのだ、これは、感謝すべきことであった、ムッとするようなことではないと思い直し、この二流大学に向かって、愛の電波を送ったのであった。

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