Monday, March 23, 2009

一の巻(1)

田舎の某二流大学の医学部基礎講座の教授職に応募した。

動機は、家族を養うために職がいるからであった。私のような年になって、今後もなんとか研究業界でやっていきたいとなれば、選択肢は限られてくる。採択率15%未満のグラントに、研究はもとより、生活費のほとんどを依存するような現在の生活は、研究成果をあげ続け、グラントを取り続けることが必須である。然るに、研究などそもそも投資行為であって、8割以上のプロジェクトは失敗に終わるのである。グラントを取り続けるために、残りの2割を限られた年数で確実に「当てる」には、多数のプロジェクトを同時平行させ、当たりそうなものにすばやく目星をつけるという研究スタイルを取らざるを得ない。そうなると、自然と、やるべき研究、したい研究よりも、やれば当たりそうな研究が優先され、本当は、もっと重要で、だからこそ、容易に誰も見つけることが出来なかったような発見が見落とされる率が上がるのである。そして当たりをつけて全力投入したプロジェクトがこけるということも頻繁におこる。今のシステムではそんなプロジェクトがこけたら後はない、プロジェクトどころか研究業は廃業となる可能性が高くなる。この2年、「どうやったら、グラントがとれるか」という観点からばかりプロジェクトを眺めて来た。結果、ろくな成果は上がらなかった。大量の断片的な実験データと不完全な実験計画書の山が残っただけである。何よりのストレスは家族を抱えて、20年近くやってきたことを止めて、1年以内に別の職を探さなければならなくなるかも知れないという生活への不安であった。その点、日本の大学は義務さえ果たせば、少なくとも給料は出る。それが、日本の教官職へ応募してみようと思った動機である。しかし、私の年令からは日本で研究職を続けたいと思えば、教授選に出るという選択しかほぼ残されておらず、私の業績では地方の二流大学が精一杯という事情だったのである。

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