Thursday, February 26, 2009

まえがき(12)

いよいよ筆を置く時が近づいて来た。永遠に「まえがき」を書き続けるわけにはいかない。挨拶は別れの始めと言う。現世は流れる川のごとし、人の生はその淀みに浮かぶ泡のごとき存在である。僅かな間、水の表面に丸く浮かんでは、陽の光を一瞬キラリと反射して、はじけて消えていく。死があるから生は尊い、終わりがあるから遊びは楽しい。本文やあとがきがあるからまえがきが意味を持つ。無理を承知で付け加えさせて頂くなら、「いらんことしい」があるから「要ること」が為されるとも思う。否、「いらんこと」を極め、これでもか、これでもか、と「いらんこと」をすることは、畢竟、「要る」を生ずるのであると、私は積極的に「いらんことしい」を肯定したい。上の息子が4-5歳ごろは「いらんことしい」であった。トイレの能力を調べるために、醤油の瓶を流す実験とか、ケチャップの芸術性を検討するために、新品の洋服や台所の床にアートしてみるとか、私にはちょっと思いつかないようなアイデアを披露してくれた。また、バラエティーに富んだ「親の我慢の限界を確かめる実験」の独創性には、ほとほと感心したものである。これらの「いらんことしい」が、どれだけ私たちの人生を豊かにしてくれたか、と振り返って考えてみれば、「いらんことしい」に感謝の言葉もない。

No comments:

Post a Comment