Thursday, February 5, 2009

まえがき(6)

これで、そろそろ、まえがきが果たすべき役割は果たせたのではないかと想像するのだが、私の想像であるから、それが現実をどれほど反映しているのか、本当はわからない。私は想像力に比較的めぐまれている方であると思うが、想像力に乏しい人というのは現実に存在し、そういう人の想像力の欠如の程度を想像するのは、いくら想像力には自信のある私にも困難であることは容易に想像できる。故に、私が想像によって、想像力に欠如した人が私のこの文章を読んで、どれだけ納得してもらえたか、を推量するすることは、易しくない言わねばならぬ。即ち、それは私の想像力が乏しいのが原因ではなく、豊かな想像力を持ってしても、想像困難な想像力の欠如という状態におかれている読者の理解力を推し量るのは難しいと言っているのである。読書における想像力というのは文字の繋がりの中から意味を創出することであり、それなしに、書かれたものの理解はなりたたないという類いの資質である。よって、その欠如ゆえに文章を理解し得ない読者の無理解は読者の責任であって、私の想像力の及ぶところではないということである。更に言えば、前にも触れたように、読書というのは、書かれた文字という実体をきっかけに、読者がその想像力をもって、有機的な立体感ある何かを描き出すという共同作業であり、従って、読者が、このまえがきの役割を果たして正しく理解しているかどうかは、半分以上は読者の能力に依存する。私には、そもそも、その読者像が必ずしも分かっているわけではないので、私の想像力をもってしても、想像力の欠如した読者の割合やその程度、そしてその結果、おこるであろう無理解ののべ面積は想像不可能であると弁じたいのである。

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