Thursday, February 12, 2009

まえがき(8)

ここで、私が「想像できない」と書いたことに対して、想像力の乏しい読者は、「それは想像力が豊かである」と言った私自身の前言に反するのではないか、と反論するものもあろうかと思うので、あらかじめ、説明しておきたい。「想像できない」とは「想像力が乏し過ぎて想像するという行為遂行が不可能になる」のではない。むしろ、あらゆる想像力を駆使して、想像力の及ぶところをくまなく細心の注意を持って眺め、その想像力を持って、想像力の及ばない領域をあえて想像してみても、なお、その事象というものが、想像力の絶対限界の外に存在するということを見極めた、との意である。喩え話をしよう。科学ではネガティブデータを嫌う。なぜなら、「ない」ということを、厳密性を持って断言するのは困難だからである。「ない」には沢山の理由がある。今日、学校を休んでクラスにいない子供が、どこで何をしているかはまずわからない。一方、クラスにいる子供が何をしているかを知るのは容易である。統計では「有意な差の有無」の検定は、帰無仮説を棄却することによって行う。即ち、「差がある」ということを直接証明することはできないので、一旦「差がない」と仮定した場合に、観察された事象が統計的確率に合致しないことを示して、その「ない」という仮説を棄却し、「なくは無い」という二重否定によって、「ある」ことを証明するのである。このように「ある」ということは「ない」の否定により証明できる一方、「ない」ことは「あるとは言えない」、即ち、「なくはないとは言えない」という形でしか提示されない。ここで、「あると断言できない」ということ(つまり帰無仮説を棄却できないということ)は、例えば、現時点ではあるとは言えないが「もっと良く調べたらあるかも知れない」という可能性を否定するものではない。そして、実際にもっと良く調べても、やっぱりあるとは言えないという結論に達したとしても、「もおっーと、もおっーと、良く調べたら、ひょっとしたらあるかも知れない」という可能性は残っていく。そういう理由で「ない」と断言することは、困難なのである。

No comments:

Post a Comment