Monday, February 9, 2009

まえがき(7)

斯様に想像力というものが、人類の相互のコミュニケーションにおいて、重要であるにも係らず、現代社会において、想像力の欠如というのは、極めて憂慮すべ き状態にあると言わざるを得ない。その理由をインターネットやマスメディアを通じた画像情報の氾濫に求むることが正しいかどうかについて、ここでの議論は 差し控える。それはまえがきには過ぎた役割であると信ずるからである。理由はどうあれ、想像力の欠如という現象は間違いなく、現代人を蝕んでいるというこ とは感じ取れる。しかし、それがどういう客観的根拠に基づく結果であるのかということをここで詳しく説明はしない。なぜなら、それは第一に私が感じとった 主観的判断に過ぎないので主観的判断に客観的根拠を求めることが矛盾であると思うからである。ここで、例えば、ユング的な集合的無意識的概念を持ち出し て、主観にも客観的根拠があって然るべきであると議論する読者の出現は大いに予想される。実を言えば、私も「同じ人間じゃないか、心は通じあう」みたいな 考えを支持するものである。しかし、これは逆説的であるが、人はその人生を生きるのはその人以外にないという事実、即ち、人間は絶対的に孤独であるという 前提があるが故に、人間同士は分かり合えるのだという込み入った事情があることを理解しておくべきであろうと思われる。想像力の欠如が現代人を蝕んでいる という感覚を支持する客観的根拠について議論しない第二の理由は、そう議論することがこのまえがきにも本文にも多大な関連があると想像できないからであ る。

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