Monday, May 4, 2009

一の巻(13)

日本の都市や家や大学システムを設計する人は、人は何のために生きているのか、考えているのだろうか?こうした構造物が本来、何のためにあるのか分かっているのだろうか?家を建てる人は少ないコストで最大限の機能を持たせることを考えて設計する。車をつくる人は小さな空間を出来るだけ拡げようとする。だから、地震になると住人は押しつぶされ、火事では一酸化中毒で死に、軽四輪車の交通事故では容易に死亡するのである。家を建てる人は「家を建てる」という目の前の目標しか見ていない(日本の社会がそれ以上を見ることを阻むのである)その家に住む人が、どのように生活をし、どのように自らの生の目標を達成していくのか、そしてそのために建てた家がどのように役立つのか、そんな人間の道具としての家という視点が欠けている。日本のシステムというのは、人のためにシステムを変えていくという発想がなく、むしろ、人をシステムにあわせようとする。だから、一見、極めてムダがないように見えるのである。そのことを、晴海通りの宝くじ売りのボックスを見て感じたのであった。一メートル四方もないような箱が歩道におかれていて、全面の上半分は窓になっている。中には初老の女の人が座っているのである。冬の寒い日で、どうも膝掛けやカイロなどで暖を取るのであろうが、私には飛行機のエコノミークラスで太平洋を横断する以上の拷問であろうと思えた。立つ事も出来ない小さな箱の中で、その人の一日が過ぎていくのである。

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