Saturday, November 28, 2009

二の巻(1)

去年のクリスマスの日、これを書き出した。田舎の中都市の駅の裏にある、ひなびたホテル、というよりも旅館といった方がよいような、宿泊所のベッドの上だった。何もかも気に入らなかった。大学も、その街の様子も、レストランも、駅前の百貨店も大学方面へ支線を出している一時間にニ本の単線電車も。どんよりした気分でその街を後にした。
 今年もまもなく十二月になる。東京駅前のホテルで去年のことを少し思い出しながら、書き出した。去年のあの侘しさに比べれば、今年は全然ましだ。その田舎町へは行く予定はないし、まだ東京について2日目だということもある。今日の研究会の席では、久しぶりに会った昔の大勢の顔見知りや、仕事を通じて名前は知っているというような人といっぱい話をして、愉快に過ごした。ホテルの31階の部屋もまずまず快適だ。一方、日本の社会に余り明るいニュースはない。 経済危機を迎えた後、政権交代を迎え、そして前政権から引き継いだ赤字を何とかするため、厳しい予算編成を予定する現政権の経済政策に、研究界も戦々恐々としている。それでも、少なくとも東京駅の周辺は知る限り、昔と同じような人が、昔と同じような密度で歩いていて、駅前のモールや飲食店の賑わいも変化したようには見えない。田舎にいけば、不景気はもっと顕然化するのだろうか。
 研究会での人々との交流は、社会での居場所みたいなものを感じられて心地よい。自分は未だに社会の人々とのしがらみみたいなものが嫌いで、いつも根無し草のようにふらふらしているのが性に合っていると思うのだけど、人間である以上、一人では生きられないし、根無し草でも一瞬一瞬はその環境と有機的な関係をつくり出しているのである。だから、自分を仕事の上であれ、私生活の上であれ、認めてくれる人と一緒にいられるということは、間違いなく幸せなことだと思う。それがニッシュというものだろう。自分にとっては、そのニッシュがむしろより流動的である方がより快適に感じられるような気がする。いつまでそうなのかわからないけど。
 田舎の大学に赴任した教授に定年がきたら将来どうするかというような話をした。その人にとって、その田舎町に対して愛着があるわけではない。子供はもうすぐ独立する。定年になったら、自分の育った所か大学時代を過ごした東京かに移ろうかと思っていると言う。別に教授の後に学長をやったり、病院長になったり、そういうことに興味は無いし、自由に暮らしたい。医者にも研究にもそう未練はないと言う。大学教官にとっての住む世界とはそんなものだ。大学を離れて一般社会の中に濃い人間関係が生まれることはまず無い。大学と家族、研究関連の同業者、それが社会との繋がりの殆どである。
 自分にとっては、家族との繋がり以上に大切なものはないと思う。仕事の上で認められたり、その社会の中での人との交流することは、楽しいことだけれども、それは、流動的であって構わない。もし自分が同業の他の人々とつき合うに価するような仕事ができないのであれば、その社会は居心地の悪いものになっていくだろう。家族との関係は流動的であって欲しくないと、勝手だけれでも、思う。子供の時から、住んでいる土地の人々になじめなくて、中学から遠方の学校に通っていたので、自分と故郷に人間的な強い関係はない。少し自転車で遠出をしたらふんだんにあった山や小川や田んぼのあぜ道や森や林へ一人で出かけて、一人でうろうろして休みの日を過ごすことが多かった。親は仕事で急がしかったし、近所にはもう友だちはいなかった。ずっと、早く遠い所に行きたい、と小学生の頃から思っていた。一人になりたいとずっと思っていた。
 自分に子供ができて、子供に対する愛情を感じるようになると、自分自身が親にとってきた冷たい態度がなんとも申し訳ないように思う。子をもって初めて分かる親の恩、というやつだ。人間関係を含むニッシュが流動的であることが快適と思っていた自分にとって、今、子供たちの笑顔を心に思い描くと、いつかは、子供たちとの別れがやってくることを考えると、昔しょっちゅう悩まされた心の痛みを感じる。

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