Monday, January 26, 2009

まえがき(3)

「まえがき」が本文を読むであろう読者に向けて書かれているということは自明である。読者が本文を読む際の補助となることを目的として、「まえがき」は書かれる。そこで、読者や聴衆に対して語るということについて、もう少し述べておきたいと思う。誰かに向かって語るということは、聞き手の反応を予測し、その予測に基づいて、聞き手の心理を、ある意味、操作しようとする行為である。聞き手はその操作に乗せられて協調的な気分になることもあれば、逆に操作を受けまいと抵抗することもある。いずれにせよ、まずは語り手が最初の一手を下さなければならないというこの相互作用の性格上、それが攻撃になるか、懐柔になるか、懇願となるか、その語り聞くという作業のトーンを決めるのは、まずは語り手の出方やその後の態度に依存するというのは改めて言うまでもないであろう。聴衆に語りかける時、アメリカでは、真っすぐに眼を見つめ、相手の反応を見ながらしゃべる。眼をそらすと、やましい事を隠していると思われる。そもそも眼も見ないでしゃべるのは、相手を無視するようで失礼であるという文化的理解がある。これは科学論文と同様、多民族国家であるアメリカで、いろんな言語的、文化的バックグラウンドの異なる人々が「間違いなく」意思疎通を図るための手段であったのだろうとと考えられる。しかし、日本では、逆に相手の眼を正面から見ながらしゃべる方が失礼である。じっと眼を見ながらしゃべると、喧嘩を売っているのか、あるいは必要以上の好意を示しているのか、と勘ぐられて、いずれにせよ、余りcomfortableでない状況を創り出す。だから、この文章も、「ストレートにあなたに向かって、あなたやあなたの周囲の人を、批判しているのではないですよ、あくまで、自分が知覚した周囲の環境からのインプットに対して、自分の心の中に生み出したものを記述しているに過ぎなのです」ということをしつこく断っておきたい。そして、その周囲の環境にあなたやあなたの周辺の人々が含まれるかどうかは、私にはわかりません、と逃げておく。

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