Friday, January 23, 2009

まえがき(1)

まえがき

次に記すことは、昨年の末の実際の体験をもとに思うところを書いたものである。何のためにという目的があったわけではない。時差ぼけで夜中に目が冴えて、時間を持て余したので、感じたことをそのまま書いただけである。だから、普段私は、人の目に止まる可能性のある文章は、丁寧語を使って書き、なるべくoffensiveなことは書かないというポリシーで書いているのだが、ご覧のようにすでに、この文章は「です、ます」調では書いていない。ブログに載せようと思ったのは、書いてからしばらく経ってからで、こういう体験記を余りインターネットで目にすることがないので、ひょっとしたら、私と同様の事を活動中もしくは活動予定の人の参考になるのではないかと思いついた。つまり、私の個人的な体験記であっても、読む人によっては何らか社会に益することもあるかも知れぬと考えたので、ちょっと完結した形が見えるまで書き続けるかと思った次第なのである。「です、ます」調にしなかったのは、一つには直すのが面倒臭かったからであるが、第二には、この文章は、基本的に悪口であって、今更、offensiveとならないよう、読者の感情を傷つけないように、という配慮を、多少の修辞上の小技でどうにかしようとしても、「口紅を豚に塗っても、豚は豚」ではないが、もはや意味がないであろうと思ったせいもある。つまり、どうせ、悪口を言っているのだから、正々堂々と、悪口らしい悪口をあたかも悪口を言うかのような口調で言う方が潔くて良い、と感じたということである。因みに、これを書いている現段階では、活動の帰趨については、私はまだ告知されていない。従って、悪口を書いている理由というのは、別段、先方が私の意に沿った返答を返してくれなかったための恨みを解消せんとするような理由からではないと断っておく。この本文の悪口とは、実は、公平な批判である。感情的なものは余り入っていない。しかし、批判というもは、それが的をついている場合に、最も人の神経に触るということを、私は知っている。そして、私の批判は的を突いているのである。従って、日本の地方大学に活動する教官は、この本文を読んで少なからず不愉快に思うものもいるであろうと想像している。という事情ではあるが、そもそも、読んで不愉快に思うなら人は読まないであろうし、不愉快なのにきっちり最後まで読んで「不愉快だ」と文句を言ってくるような奇特な人があれば、それはそれで、議論を戦わすに値する、と考えた。また、不愉快なのに最後まで読んで「不愉快だ」と文句も言わずに、不愉快を自分一人の胸に閉じ込めて、上目遣いに敵意の光線を送ってくる読者もあるかも知れぬ。それについては、傲慢かも知れぬが、こう言わせてもらおう。私は無言の敵意光線に非常に感受性が鈍いから、そんなものに私が気がついて行動を改めるとでも考えているのなら大間違いだ、と。不愉快を胸に閉じ込めて、限られた人生の貴重な時間を無駄にするのは、そちらの損である、それに、私はチビだから上目遣いの光線はあたりません。斯くの如く、複数のシナリオを勘案した上で、覚悟を決めて、「正直に悪口を書く」という、この行為に及んだ次第である。しかし、そう開き直ってはみたものの、多少の小心さのために、「まえがき」で、「これから悪口言いますよ、この悪口には悪気はありませんからね」と、何はともあれ断っておいた方が、本文を読んでむっとするであろう将来の同業者の心証も必要以上に悪くせずに済むのではないか、とのセコい計算のもとに、この「まえがき」は書かれている。このまえがきは、本文と異なり、はじめからあきらかに自分以外の読者に向けて書かれている。にもかかわらず、「です、ます」調ではない。その理由を、多少、述べさせてい戴きたい。それは、「これらの悪口はあなたに向かっていっているのではありません。ここに書いたことはそう感じた私の中の私に向かって声にしているだけなのです。だから、この文章は、本来、私の独り言なのです。ね、わかるでしょう?独り言だから、どんな風にしゃべっても、多少、言葉遣いが悪くても、あなたに向かって言っているわけではないのですから、許して下さいよ。そうでしょう?」という言外のメッセージを伝えるために、わざわざ「です、ます」調を避けているのである。しかし、本来、言外のメッセージというのを全く読み取ってくれない人が世の中には思いのほか多いということは、科学論文を読んだり書いたりしたりした間に、いやというほど学んだので、蛇足を覚悟で、本来、言外であるべき「言外のメッセージ」をこうして、解説してみたというわけなのである。

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