Monday, April 27, 2009

一の巻(11)

日本に欠けているものは、余裕とか遊びとかである。ムダな空間や時間である。日本人の効率主義で、ムダな時間や空間は本当に無くすべき「ムダ」であると思っているのではないだろうか。だから、あれほど、建築物が醜いのである。限られた空間に、家が家として機能出来るぎりぎりの設計でものを建てるから、ああなるのだ。確かに家としての機能、つまり、夜露を防ぎ、生命活動を維持するだけの空間を与えることは出来ている。しかし、それだけである。だから貧しい。人はそんな家では生きることはできても、生活を楽しむことはできない。都市もそうである。都市を歩いて景色を楽しむように設計されていない。そこには、働く人々が昼間、仕事をするという機能を果たせるぎりぎりのスペースが確保されているに過ぎない。楽しく仕事をするとか、楽しく生活するとかという発想がないのである。教官選考もそうである。それを人との出会いであり、学問的啓発を得る機会と捕えようという発想がない。知らない同業の研究者と食事にいって情報交換をし、ネットワーキングしようという発想がない。教授を選考するのに最小限のリソースしかなく、候補者は、仕事をもとめる失業者で、大学は就職を世話してやる職業安定所だというような発想なのである。つまり、やとってやるという態度なのである。

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